書家 小野﨑啓太

蘇軾詩「東坡」

2018.8.3

蘇軾詩「東坡」

独立選抜書展出品作

蘇軾詩 「東坡」

雨洗東坡月色清  雨は東坡を洗って月色清し
市人行盡野人行  市人行き盡して野人行く
莫嫌犖確坡頭路  嫌ふ莫かれ犖確坡頭の路
自愛鏗然曳杖聲  自ら愛す鏗然として杖を曳くの聲

蘇軾は宋代の政治家、詩人。父の蘇洵、弟の蘇轍とともに三蘇と称され、三人とも「唐宋八大家」に列せられている。天才肌の文学者一家に生まれ、科挙の長い歴史の中でも最難関であったとされる時代に弟の蘇轍とともに22歳で及第、進士となっている。しかし王安石の主導した改革に異を唱えるなどしたため、黄州(湖北省黄岡県)、続いて恵州(広東省恵腸県)に左遷された。流刑はあわせて14年に及ぶ。

宋の四大家(蔡襄・蘇軾・黄庭堅・米芾)の一人として書名をも馳せ、黄州で詠んだ句二首を記した黄州寒食詩巻は、流刑の身を嘆き悲しんだ彼の代表作である。

蘇軾がみずからを蘇東坡と号したのは、流刑の地となった黄州の町の東にあった岡に、彼が東坡と名付けたことによるものである。その岡と自らを重ねたことは言うまでもない。「坡」とは坂道、勾配のある土地を意味する。いばらの生い茂った石だらけの荒地だったとされ、彼はここの一部を開墾した。彼がこよなく愛したとされるこの東坡の地、流刑となった彼の身と心にその風景がどう作用したのかを考えると、この七言絶句「東坡」はより鮮明に姿を現すに違いない。

拙作はこの詩に、漢代の素朴な表情を持つ隷書を載せたものである。

遠く離れた都に思いを馳せながらも、流刑の地で、その身を恨むことなく自らを鼓舞し、一歩一歩を踏みしめていた蘇東坡に思いを寄せた。

四川省眉山市に東坡区と呼ばれる地が今もあるが、ここは蘇軾の出生地である。