書家 小野﨑啓太

九成宮醴泉銘~文字Beauty講座②~

2018.1.20

九成宮醴泉銘~文字Beauty講座②~

『九成宮醴泉銘』

とても重要な古典なので、もう一ついきましょう。
画像を印刷して、練習につかってください。

「貞観六年」とあるのが見えると思います。九成宮醴泉銘が作られた年ですね。
また、皇帝が避暑のため九成宮つまり仁寿宮へ  行った。というのもわかります。


日本は戦後に漢字(楷書)の常用体を変えていますし、(旧字・新字)文字は時代や書き手によっても随分変わることがありましたので、今の形と異なる漢字がいくつか目につくと思います。

それでも楷書は、「読める」わけです。

すごいことですよね。1400年も前の文字です。文法などは分からなくても、少なかれ文字一つ一つの意味は現代人にもわかる。1400年前の「他国の」文字が読めるなど、他の文化圏の国ではそうそうありません。
しかし、日本人は300年前の江戸時代の文字はなかなか読めません。草書ですから。

なんだか、不思議なことですね。歴史のいたずらといいますか。

この古典に現代人がいまだ美を感じるのは、
唐という時代、その帝国の影響がいかに強かったか、ということを示しています。

この古典、「背勢」という形の取り方で書かれています。

縦線がくっと内側に反る。「背骨のように」 それが特徴です。

背勢の書き方は文字を凜と見せることができます。
文字がスタイル良く立って見えるのは、「背勢」があるからですね。

しかしこの書き方、どうも窮屈に見えてしまうようです。

内側の空間を圧迫するように書くわけですから、窮屈になりますよね。

そこで歐陽詢は、いくつかの点画をくっつけることなく、離して、表現しています。いくつかの空気穴をあけることで、スタイルの良さと窮屈にならないことを両立させているのです。

すごい。歐陽詢。

誰より「美文字」だった歐陽詢。

さぞかしイケメンだったことだろうと思いきや、
彼はとても容姿にすぐれなかったとか。

同時代に活躍した「虞世南」「緖遂良」らには、しっかりと顔の絵が残っているものの、
「歐陽詢」にはそれらしきものが見当たらないというほど。 ひどい話です。笑

容姿にすぐれなかったからこそ、人一倍勉強し、人一倍美しい書の研究に時間を費やすことができたのでしょう。

勅命という機運が訪れ、全身全霊で挑んだ九成宮醴泉銘。時に彼は75歳。
不細工だったと言われる歐陽詢が生涯を懸けて作った「美」が、今も東洋の英知として受け継がれています。

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『九成宮醴泉銘』 ペン臨書

ペン:MITSUBISHI鉛筆B2

所要時間:25分

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