書家 小野﨑啓太

『金文』ってどんなもの??(大盂鼎)

2018.2.14

『金文』ってどんなもの??(大盂鼎)

「大盂鼎」 (二玄社・中国法書選より)

文化の発展とは、自然界にあるあらゆるものに工夫を加え、それらを加工することで人間の営みに多様性を持たせた歴史のことである。

人間が石を使うことを知った時代。 石を加工し、装飾したり武器にしたりすることを知った時代。

火を用いて温度を加えることにより金属を加工、鋳造することを知った時代。

鉄を用いる時代。

紀元前3500年頃、既にエジプト・メソポタミアでは金属を加工していたことが知られている。それらの製造法が中国に伝わったのか、中国は独自にその方法を編み出したのかはわからないが、中国においても殷(紀元前1600年頃 – 紀元前1050年頃)の時代には金属を加工する技術を持っていた。

中でも融点が低く硬度に富んだ青銅の鋳造は盛んであったようである。

原料の採掘や鋳造技術に多くの人手を要したため、それらは支配層や特権階級の富の象徴でもあった。

殷後期の時代、それらの鋳造物(青銅器)の多様な紋様の中に、文字と認められるものがある。

「金文」と呼ばれる。

甲骨文のように直接刻まれたものではなく、石碑のように彫られたものでも、筆で書かれた文字でもない。鋳造する際に型を用いて鋳込んだものであるというのが「金文」の大きな特徴と言える。

酒器や食器の形をしたものが多いが、非常に重く大きく、実用のものというよりは祭祀に用いたものであった。

周代に入ると、殷から鋳造技術を受け継いだ。封建制度を推進した周は、それら青銅器を諸侯に与え、重要な政や国同士の契りのために用いるようになる。

「散氏盤」

 

「爵」「尊」「壺」「鼎」「盤」などと呼ばれ、様々な形がある。

時代が下るにつれ、文章は長くなり、文字は大きさや線の太さを統一し、よりシンメトリーなものへと整理されていく。鋳造技術の発展とも言えるが、定型化していくことにもなる。

また、青銅器には様々な紋様が施されている。日本の縄文土器にも通じるようなものがあり、特異な形をしたものも多く、大変興味をそそられる。

それら紋様における当時の人々の美意識文字との関連性を考えると、本当に興味が尽きない。文字が文字として独立したものではなく、紋様やその鋳造物の形と一体となっているのである。

「金文」を見るときは、それらが鋳込まれた青銅器の紋様や形にも目を向けてみることで、一層の関心を得られるのではないかと思う。
人型の文字、何かの形を示す文字、装飾性に富んだ愉快な文字たちは、
当時の人々の美観を映し出すものである。

「大盂鼎」に限って言えば、どっしりと大きく構えた形、太く豊かな線質、穏やかな空間が魅力だ。

古代人の楽しく夢のある文字に触れられるのが「金文」である。