書家 小野﨑啓太

2018.1.30

回

「回」 100㎝×165cm

新作 『回』 (金文) 油絵の具使用

 

これは書ですか? 絵ですか?

自分でもわからずに制作を進める。

書と絵。 そのジャンルの違いって何だろう? 明確な答えは。

まぁもちろん、普通に考えれば、
文字を書けば「書」 絵を描けば「絵」

書は白と黒で成り立つし、
絵に描くのは風景や人物、または心象的なものだ。

 

色が使ってあるから「絵」ですよ。
いや、色を使っても文字があるから「書」でしょう。

じゃあ、文字が書いてあるから「書」?
文字を描いた「絵」もあるよ。

塗ってしまったら「絵」じゃない?
これ、全部塗ってるわけじゃないよ。

 

こう考えていくと明確な答えは得られなかった。笑

結局作者としてこの作品に求める正解は、
「どちらでもいい」

古くは記号のような壁画もあっただろうし、
「書」の分野として扱われるものには筆で書かれていないものもある。
文字を彫ったり、鋳込んだりした二次的なものも書なのだ。

これが書であっても、絵であっても、どちらでもいい。

ただ、書と絵との境と、その過程を考えるきっかけにはなる。
現代のアートとして。

油絵の具を使っての制作。もちろん初めての試みだった。

物議をかもしたのは当然。 隣の美術展に搬入されるものかと思ったらしい。

先人達の書に対しては、随分失礼な発表の仕方だと思う。
ぶっきらぼうだとも思う。

 

不意に思う。

「自分の見ている世界は、果たして本当に自分で見ている世界か?」

という芸術の永久的な命題。

これがこれと認識される時、その価値判断は何に拠るものか?

たとえばここに椅子があるとする。なぜこれは、「椅子」なのか。

もしかしたら、全く違う世界、地域、時代の人が見たら、それは「椅子」ではなく

明らかな 「机」 なのかもしれない。

私達がある一定の共通的価値基準に基づいて、それは「椅子」であるだけではないのか?

もちろん、犬の世界には、椅子も机もないだろう。

どこで、基準を分断するのか? ということだ。

どこで基準を分断し、また、そのものに適切な名前を与えるかということだ。

私が普段やっている「書」の仕事は、
人からみれば、「絵」のようだね? と言われることもある。

明らかに基準の分断に差があるのだ。

そして、私たちの価値基準に基づいて「書」の話をすると、
「へぇ」という。 その人はその価値基準の差違をわかることができる。
その上で、自分はどこを分断するかだ。

今回作は、あえてその分断を、自分のこれまでのところとも違う場所で切ってみた。

基準が見えて分断することと、基準が見えないこととは違う。

これが書に見えるか、絵に見えるか。 それはご覧になる方の目で良い。

 

 

小野﨑啓太