書家 小野﨑啓太

円相

2018.11.12

円相

いつの間にか執着していた心が、ぽーんとひとつ、音を立てたように自分から切り放たれていった。己自身が望んだのでもなく、誰が望んだのでもない。どうしてもそこに捕らわれて止まなかったことは、只自分の奥底に、ゆっくりと、静かに消えていった。
紅や黄に染まった木々。慌ただしく過ぎゆく日々に安らぎをくれる。一枚の葉に、決して同じものはないのだろう。同じものがない集まりの中に今年も同じ紅葉を見、一時として同じ時間はないだろう事を知りながらこの時がずっと止まったようにここにあり続けて欲しいと願う。一枚の葉は芽吹き、深緑に染まり、次第、紅へ、真紅へと色づく。秋ほど「深まる」という言葉が似合う季節も他にない。真紅に色づいた木々には、なぜかそこに深まりということを感じずにはいられない。葉が落ちたことを人々は覚えてはいない。まして落ちた葉がどこへ行ったかなんて、知ることもない。しかし葉は大地に耕され、また深緑への力となる。
禅の悟りを表すと言われる「円相」を書いた。なぜ円なのか、なぜ禅なのか。また、これがなにを表すものなのか。浅学の自分にはよくわからない。本来、完全円でなければならないのかもしれないと思うが、初めは終わりにならず、また終わりも初めにならない円となった。僅かに触れ合おうとする初めと終わりに、かすかな共鳴を感じ、心は元の場所に戻らなくともその音で円を為す。円相であるかないかに関わらず、この円は響きとなり心の音となった。

とらわれのない自分の心に気付いたとき、やがてまた心の響きに気付く自分が居た。