今年五月半ば、團菊祭五月大歌舞伎を観劇して参りました。
歌舞伎を観るようになって五年あまり、 この團菊祭は欠かさず観に行っています。
毎年五月、幕末から明治の名優 九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎を顕彰する形で催されるようになった團菊祭。
成田屋(市川團十郎家)と音羽屋(尾上菊五郎家)ゆかりの演目が並びます。
2013年に市川團十郎が亡くなってからは、音羽屋よりの和ごとの演目が多く上演されていた印象でした。尾上菊五郎はじめ、子息の尾上菊之助らが舞台で輝きを放っています。
そして成田屋当主、市川海老蔵。 お父様、奥様を亡くされ、通常では考えられない悲劇の最中にありながら、彼の舞台には日に日に力がみなぎり、磨きがかかっています。
今年の團菊祭、昼の部は「雷神不動北山桜」の通し狂言。歌舞伎十八番ですから成田屋の演目でした。
夜の部は「白浪五人男」で知られる『弁天娘女男白浪』。
迷いましたが夜の部を選びました。
「しらざぁ言って聞かせやしょう・・・弁天小僧菊之助たぁおれがことよ」の名台詞で知られる音羽屋ゆかりの演目です。五代目菊五郎が演じてから人気演目となり、当代菊五郎、菊之助まで受け継がれています。
六代目の孫にあたる中村勘三郎の好演もあり、現代でもとても人気のある演目です。
当代尾上菊五郎の理屈のないただただ淡々と続く見事な好演、尾上菊五郎の本領を初めて見た気がしました。
呉服店 濱松屋に入ってきたお嬢さん。万引きの嫌疑をかけられるも、盗んだとみられたものは他の店で求めた物品。 その嫌疑を巡って実は、と正体を表すお嬢さんは盗賊弁天小僧菊之助。お嬢さんから男盗賊に切り替わる場面と弁天小僧菊之助の名台詞が見所の舞台ですが、その自然な舞台の流れ、尾上菊五郎の存在感は抜群のものでした。
尾上菊五郎孫の寺嶋真秀が丁稚役で好演、海老蔵、松也もそれぞれの親らが勤めた役を引き継ぎました。
玉島逸当 実は日本駄右衛門という盗賊の頭領を演じた市川海老蔵。
大変好演でした。
言葉にならないけれど、常に舞台の柱を勤める市川海老蔵に、強く演技の定着を感じるようになりました。周りの役者とも馴染み、無駄なものが取れ、沈んだ演技を観ることができました。
他にもうまい役者や格の高い役者さんもたくさんいると思います、でも市川海老蔵にはまた彼らとは何か違った華やかさと不安定さを感じ、それが魅力でもありました。
またひとつ、変わってきていると感じ、目が離せません。
なんと言ってもこの演目、注目すべきは「白浪五人男」勢揃いの場。
かっこいい五人の悪党が名乗りを上げます。
※平成20年五月歌舞伎座
評論家の某氏は、あるネットの評論の中でこんな言葉を使っていた。
「偉大なるマンネリ」
何事も起こらない、ほとんどの人が舞台の流れすべてを知った中で、何度も繰り返されてきた舞台が「何の破綻もなく」進んでいき「心地よい」のだと。
マンネリという言葉からは負のイメージしか抱くことはできないはずだが、繰り返すことの重要性、繰り返されることの素晴らしさ。
確かに、偉大である と感じた舞台でした。
この五年あまり、歌舞伎を観てみようという思いつきから特に誰彼と俳優を意識することなく見始めたものの、一番心惹かれ観に行った舞台は市川海老蔵の舞台でした。
歌舞伎十八番「雷神不動北山櫻」を皮切りに、「源氏物語」 「勧進帳」「助六由縁江戸桜」 「暫」 など彼の当たり役とする数々の舞台、ABKAIなどの自主公演にも多く足を運びました。
歌舞伎を知ろう、と思ったことから始まり、歌舞伎そのものの歴史を調べ始めるとすぐさまぶち当たる「市川團十郎」の名前。 歌舞伎界でもっとも権威のある名跡とされ、江戸時代までのそれはまさしく歌舞伎の歴史は市川團十郎の歴史と言って過言ではありません。
江戸歌舞伎を創始し、現代に残る、歌舞伎と言ったらあの「隈取り」、江戸の大荒事で不動の人気を誇ったもののその最期は舞台上で刺殺されるという伝説の名優初代市川團十郎。
幕末明治の混乱期に歌舞伎の大きな変革を行い、歌舞伎そのものの価値の底上げ、天覧歌舞伎を催した明治の名優 「劇聖」九代目市川團十郎。
戦後の歌舞伎ブームに火をつけ、花の海老様の愛称で絶大な人気を誇った十一代目市川團十郎。
そして七月歌舞伎座。昼夜とも出ずっぱりになります市川海老蔵、市川家ゆかりの演目が昼夜ともに並んでいます。
昨年七月歌舞伎座、「駄右衛門花御所異聞」でみた芸域の広さが忘れられません。
勧玄くんと飛び、 目を真っ赤にされあの睨みで舞台を圧倒し閉幕、鬼気迫る息づかいで瞬間を生き抜く海老蔵の目は生涯忘れ得ません。
今年はどんな七月なのか、楽しみです。
いずれ市川團十郎を襲名する海老蔵、 襲名間近とも囁かれ、 当代海老蔵としての絶頂期にあるだろう芸を、ぜひ観てほしいです。
火事と喧嘩は江戸の花 といわれた江戸東京に、350年にわたり受け継がれる市川團十郎の名跡は、常に波乱と光に満ちています。