とっても歌舞伎が好きです。
「書」とは関係ありませんが、
分かる範囲でたまにこんなものもご紹介させていただきたいなと思います。
「二月大歌舞伎」話題になっていますね!
一月に引き続いての「高麗屋三大襲名披露」です。
歌舞伎の世界では、その家を屋号で呼ぶことを常としています。
市川さんとか中村さんとか言ってもたくさんいるわけですね。
ですから、「成田屋さん」「音羽屋さん」「高麗屋さん」
といった風に、屋号で呼ぶようになったそうです。
江戸時代までは、屋号はお互いの通称としてどの家も使っていたそうですよ。
歌舞伎と言ったらよく聞く あの、「成田屋!」「高麗屋!」という掛け声ですが、
「大向こう」と言います。通常、その時に使うのも屋号です。
「高麗屋」 ですが、「松本幸四郎家」のことなんですね。
松本幸四郎、
二代目松本幸四郎を名乗った人物は、二代目市川團十郎の実子とも言われ、
後に四代目市川團十郎を襲名しています。
二代目松本幸四郎=四代目市川團十郎
明治、昭和になってからも、
七代目松本幸四郎の長男が、十一代目市川團十郎を襲名しています。
市川團十郎家に嫡子がない場合は、松本幸四郎家から養子を迎えるという慣例があり、
江戸歌舞伎の祖と言われ、歌舞伎界でもっとも格式ある名跡とされる
市川團十郎家と、松本幸四郎家は本当に深い関係にある家柄なのです。
当月は松本幸四郎家、当代で十代目となるおめでたい襲名披露の公演です。
是非ご覧いただきたいです。
歌舞伎美人(かぶきびと)
http://www.kabuki-bito.jp/
先月となる「壽 初春大歌舞伎」
私は夜の部を観劇してきました。
二度目となる新幸四郎さんの勧進帳「弁慶」
本当に実直に懸命に役を務められる姿がまぶしかったです。
「高麗屋」と言われれば「弁慶」を思い浮かべるほど、
「高麗屋」と「弁慶」は切り離せない関係にあります。
七代目松本幸四郎が、師である九代目市川團十郎より弁慶の芸を継承し、
実に1600回もの数を全国津々浦々で上演した話はあまりにも有名です。
「弁慶」を日本に定着させた大立役者と言うべきでしょう。
その孫に当たる前幸四郎さん(現・白鸚)も、1100回を超える上演を重ねています。
まだまだお元気ですから、あと500回、頑張ってほしいですね。
そうやって承け継いできた高麗屋の弁慶。 新幸四郎さんも嬉しいことでしょう。
前回よりも大きな芸容で弁慶をものにされたと思います。
その叔父にあたる中村吉右衛門が弁慶の相手役になる冨樫を。
この冨樫は格を見せつけた形でした。無駄のない動き、通る声。素晴らしいものでした。
そしてなんと言っても、今回楽しみにしていたのは十三歳の新染五郎。
新幸四郎さんのご長男です。 義経を務めました。
大役中の大役である義経。本興行(歌舞伎座公演)で義経を務めたのは最年少だとか。
とっっっても美しい義経でした。
義経としての育ちの良さ、芯の強さも十分に表現されていたかと。
これからに期待のかかる新染五郎さんですが、一躍人気者と言いますか、
歴史に残る一役だったと思います。
二月のご紹介のつもりが一月の話になってしました。
二月は、昼夜ともに観たい・・・・。という演目がまたそろっています。
まず、昼の部、「一條大蔵譚」
平家全盛の世、夫源義朝を亡くした常盤御前を妻に迎えた一條大蔵卿。その阿呆ぶりは世間でも広く知られているところですが、、実は、
という話になる一條長成の義太夫狂言。
高麗屋の演目と言うよりは、中村吉右衛門さんがよく演じてこられた演目の一つです。
新幸四郎さんが、高麗屋とともに叔父である播磨屋の芸も受け継ぐ大切な一役かと思います。
「暫」
これはよく知られた歌舞伎十八番。歌舞伎と言ったらこの狂言を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
こちらは成田屋の演目、当代成田屋当主の市川海老蔵丈による鎌倉権五郎景政が観られます。
「し~ば~ら~く~」
ぜひ観てほしいです。
夜の部は
「熊谷陣屋」
とても長く、ちょっと観るには応える演目ですが、自分も好きな演目です。
こちらは高麗屋、播磨屋ともによく演じてこられた演目でしょう。
よく上演されます。
歌舞伎において首実検という場面は、いくつかあるわけですが、
この熊谷陣屋の首実検ほど、泣ける、切ない、そしてその時代性を窺い知ることができるものは他にありません。
天皇制のもと、当主のために、守るもののために、または自分のため、一族のために、
自分の子をも撃たなければならない境遇。 考えにくいことではありますよね。
おめでたい上演が続いています。
ぜひ、この機会に歌舞伎を!!