日がこぼれる日曜日の午後、
「そうだ、ワインを飲もう」
トクトクトクトク。 グラスに注がれた透き通る赤。
ゆっくりとグラスを回し、色合いを見る。澄ながらも渋く濃い紫。
ワインが空気に触れる。豊かな香り。
すっと口の中を転がしてみる。ほのかな酸味。
ふたくち、強いコクが静かにのどを通る。
厳選された上質のぶどうを凝縮させ、樽で熟成した木の香り。フルボディのワインは遠くブルゴーニュの風景を感じさせてくれる。
はい。そんな日があったらいいです。そんなワインを知りませんし、ブルゴーニュがはたしてどこなのかも分かりません。たぶんフランスです。笑
~書のみかた④~
「書は無意味な手紙」
ここに一つの画像を添付しました。ご覧ください。
日比野五鳳先生(1901~1985)の書。 言わずと知れた仮名書の大家です。
是非今回は、今回も?書には自信のない人、書道をしたことがない人、書道ってなんなの?と思っている人。 そもそも全然興味ないひと。に読んで、そして見ていただきたい。
この2018年、日々忙しく生きるあなたの中に、もしゆっくりと「書」を見られる機会があったなら。
一杯のワインのように、その書を眺めてほしい。
どんなものでも、だれのものでもいい、昔の手紙でも、博物館でも、書道展でもいいし、子供の半紙でもいい。できれば画像や本の写真などではなく、ぜひ本物の筆跡を。
今回は、もちろん画像ですがこの日比野五鳳氏の「書」をご覧ください。
僕なら、こんな感じ。
その紙に何も書かれていなかったときの、真っ白な紙。
ほのかな紅色の美しい料紙。中心より下、やや左手に上品な光。雲母(きら)です。
目を、行へ。ひとつひとつの行の間。 揺らぐように間が広がり、お互いが穏やかな距離を保つ。やや近づく緊張感のある下方。
大きな広がり。
一字目。三秒眺めてほしい。 緊張の高まる一筆目から高い空間に羽ばたきすっと舞い落ちる三画目。 複雑に絡み合いながらもおおらかに時に厳しく、線は迷いなく流れる。
もし自分がこの線の中にいたら。 この線はどう進んでくれるのだろう?
この線は、どう、自分を運んでくれるのだろう。
笹船を流した日。 あの笹船はどこまで行っただろう?
ぶつかり、からまり、とまり、また流れ、
あれ、どこに消えたか。
いた。
自分を乗せた笹船。 三行目の急流。乗り切れるか。
大きな波があり、天からもう一艘の船が。僕の船に寄り添う。
流れは続くか。 乗り切れるか。
ふっとまた、なにもなかった世界が蘇る。
少し気取った書き方になりましたが、こんな見方はどうでしょうか。
なにを想像するも自由なわけですが、
前述した「無私」の書には、こんな風に、なにかしらの世界を思い浮かばせてくれます。
まったく、読んでいません。今現在、僕はこの書を読むことができますが、
読めるようになる前から、この書が好きでした。
読めないのに、好き。 おかしくありませんか。
書です。 意味を伝えるものでしょう? いいえ。
その世界が伝われば、書は「読むもの」ではありません。
書。筆跡を見るとき。 意味は一つの付加価値です。
この書、題を 「ひよこ」 と言います。 なんとなく、しっくり。
もしお読みになりたければ、ぜひお調べください。
上質のワインをいただくとき。(たぶん)ゴクッ とはいきませんね。
口の中を転がすように、その味を身体で感じようとします。
「あれ、なんてワインだっけ?」
書における「読む」要素は、そんなもんです。もちろん書いている皆さんは、書く内容をとても大切にします。ワインを命名する作者と同じでしょう。でもご覧になる皆さんには、知っておいて損はない、その程度がよいと思うのです。
「口の中を転がすように」
「目で、心で、それを転がすように」
書は、「読み物」ではありません。
「味わうもの」です。
書の歴史のぶん、多岐にわたる味わいがあります。
またこんな紹介ができれば良いですが、
「書」は意味ではありません。
ほんとうに「美しい字」が、いいでしょうか?
もちろんこれも美しいけれど。
家族の手紙、友人の手紙、 あの人が初めてくれた手紙。
あの子がまだ幼かった頃の文字。
それほど味わい深い書は、ありません。
日本人の方には、もしかしたらこういいった「仮名の書」が、最初に見るにはとてもなじみを感じるのではないだろうかと思い、紹介させていただきました。
一つの、~書のみかた~ です。
小野﨑啓太