次の作品を決めるときにまず考えることは、私の場合、何を書くか(言葉など)、ではなく、
どのような表現法を取るか、を考える。それにあった素材(言葉)を後から持ってくることが多い。
一つの作曲なら、歌詞が先か、曲が先か、というようなことだと思う。
曲のイメージを先に作り、それにあう言葉をあてはめる。
今回は、隷書の作品を試みている。
漢代の隷書に惹かれているということもあるし、こういう作風のものもあまり発表したことがない。
蘇東坡(蘇軾)の代表的な詩を素材とした。
絵では、色を塗り重ねるということがある。重ねて重ねて立体感を深めていくし、イメージを深めていくのだと思う。
書の場合、もちろん一枚は一回で書くしかないので、直接作品に塗り重ねることはないわけだが、
何度も(何枚も)同じ言葉を書くことで立体感を深めたりイメージをより洗練されたものにしたり、乗せたり削いだりして作っていくという面では、絵よりも塗り重ねる必要があると思っている。
だから一枚の作品を作るには何枚もの紙の束ができる。
自分は形のイメージよりも運動のイメージを重視していると思う。
書は運動。書は反復。 書は瞬発力。 書は抑制力。
書は筋肉。 全身運動。
反復の中で繋がっていなかった脳細胞を繋げて、具現化していくことが、
時間はかかるが最短の道のりなのだと思う。
こんな作品も同時に書いている。まったく違ったイメージによるものだが、
「風韻」