書家 小野﨑啓太

銀雀山漢簡

2018.4.25

銀雀山漢簡

敦煌や居延の木簡をいくつか紹介したが、
こちらはその西方の地域から大きく離れた東側の地域、今の山東省から発見された「竹簡」である。

20世紀は敦煌、居延の木簡を皮切りに中国全土で漢時代の尺牘が発見された。こちらは1972年にさ山東省臨沂県の銀雀山漢墓から発見されたもの。

木簡は主にポプラなどの乾燥に強い木に書かれたものだが、竹簡は竹に書かれたものである。竹の内側に墨をつけてみると意外にも吸水性は良く、墨の乾燥も早い。そして発色も良いのだ。同時代に「帛書」(絹)に書かれたものも存在する。いずれも紙が高価だった時代の代用品であるが、紙よりもずっとポピュラーであっただろう。

山東省臨沂県といえばそう、王羲之の出身地でもある。
もちろん王羲之よりはるか300年以上も前のもの。

そして三国時代蜀の時代には諸葛孔明もここに生まれている。

ここに書いてあることは、かの有名な「孫子・兵法」である。
「一を以て十を撃つは・・・」という有名な文言もここに見える。

諸葛孔明はその軍略に孫子の兵法を学んでおり、この竹簡はもしかすると諸葛孔明が実際に手にとって学んだかもしれないのである。

そう考えると歴史は壮大で夢がある。

書の見方としては篆書の趣をかなり残した隷書である。
「漢興りて隷書あり」とは言われるが、このように篆書の形や書法を大きく残したものも興味深い。

「道」などは、篆書の形からどのように隷書、そして楷書の「 辶 」(しんにょう)に変化していったのかが本当によくわかる。

また、「やや右上がりで丸い線」も特徴だ。

隷書でありながら右肩が上がるものは、漢時代の石碑にはほぼ見ることができない。木簡・竹簡なくしてわかり得なかったことだ。

点画を省略しながら右肩を上げる書法は草書につながっていくし、やがては王羲之も学んだであろう書法に近づいていく。

重厚な横画などは既に王羲之の姨母帖などに見られる書法と通ずるところがあるように思う。
ただコレと思って書してみるのではなく、こう歴史を概観してみるだけでもまた違った見え方があると思う。
拙臨は次回から掲載してみる。