書家 小野﨑啓太

書家 小野﨑啓太について

人と出会い、「書」
芸術に出会いました。

「書」の芸術としての可能性を探り、これまでに500点を超える作品を発表、
これからの書の在り方を模索し、訴えてきました。

絶えず学び続けること。絶えず伝え続けること。
伝統と革新は芸術の上で同義であり、

書は、私の静かな祈りです。

当ホームページにお越しいただきありがとうございます。ほんの少し、書の時間を味わっていってください。


                             2020年4月  小野﨑啓太
ご連絡はこちら→ mail@onozakikeita.com

略歴

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小野﨑啓太(おのざき・けいた)/書家
栃木県矢板市生まれ

6歳より筆を持つ
2002
第50回独立書展 佳作賞・ヤング賞受賞「おれもねむらう(草野心平)」 会友推挙
2007
初個展 「抱炎展」開催 (埼玉県志木市・フォーシーズンズ四季)
2008
第56回独立書展独立賞(最高賞・最年少受賞)「抱炎」準会員推挙
映画「スリーデイボーイズ」タイトル揮毫
(AKB48元メンバー出演・夏目大一朗監督)
2013
映画「隕石とインポテンツ」タイトル揮毫(第66回カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門ノミネート作・佐々木想監督)

栃木テレビ ニュース9出演

第67回 栃木県芸術祭美術展 奨励賞受賞 「心」
2014
第66回 毎日書道展 毎日賞受賞」(公募部門最高賞) 「燃」
2015
FM RadioBerry 「矢板時間」出演

矢板市民力顕彰受賞

第2回 個展「小野﨑啓太展」開催
(栃木県総合文化センター第4ギャラリー)

栃木テレビ「トチギスト」出演

第69回 栃木県芸術祭美術展 奨励賞受賞「返照」
2016
第64回 独立書展 準会員賞受賞
「生きることは一筋がよし寒椿(五所平之助)」会員推挙

第68回 毎日書道展 秀作賞受賞 「九」
2017
第69回 毎日書道展 佳作賞受賞・会員推挙 「江雪」

第9回沖縄国際映画祭出品映画 「サトウくん」 タイトル揮毫

乃木坂46 19thシングル C/W曲
「僕の衝動」 MV内タイトル揮毫
2018
栃木縣護国神社
「以和為貴」奉納揮毫
2019
日光の社寺「輪王寺」(世界遺産)
「和」「令和」奉納揮毫
作品展示2019年5月~※現在展示中
2020
新型コロナウイルス医療義援金企画 つなごう100の心プロジェクト
100作品完売 30万円を医療義援金として栃木県に寄付

世界遺産輪王寺 奉納揮毫「輪」 ※現在展示中

栃木縣護國神社 奉納揮毫「愛」「生」

第三十三回東京国際映画祭Tokyoプレミアム2020出品映画
「鈴木さん」タイトル揮毫
(監督・佐々木想 主演いとうあさこ)
2021
啓桜書道教室開校

独立書展大作選抜作家
「東風吹かば…(菅原道真の句)」

四代目市川九團次さんと共に
栃木縣護国神社で作品奉納揮毫 「文化安寧」
2022
矢板市指定史跡「川崎城跡」揮毫

片岡重和先生に師事
2023
独立選抜書展にて会員賞受賞
「故人西辞黄鶴楼…(李白の詩)」

栃木県矢板市の寺山観音寺へ作品「遍照」奉納揮毫
石碑となる
2024
「Saudi Japan vision 2030 Business Forum Culture Dinner」(サウジアラビア政府主催)で書道パフォーマンス 作品「結」を揮毫
現在
啓桜書道会主宰
(公財)独立書人団審査会員
(一財)毎日書道会会員
栃木県書道連盟会員

WORDS

―求めるもの―

何か一つを求め、未来永劫へ持って行くことができるとしたら、なんだろうか。
この問いは即ち、一度限りの生において、何を求めるか、ということでもある。多くのものを求める機会に恵まれた今日、多様な価値観があり、多様な人生がある。選択する自由こそあれ、反して私たちは、多くの場合、日々の雑事に追われ過ごしているようにも思う。「人生に何を求めるのか」その問いの本質に気づいた時には、持てる時の大方を費やしているかもしれない。十六、七歳の頃、大きな葛藤のなか、この問いとぶつかっていた。いま私は、「単純であれ」と、自分に言い聞かせている。自分の持てる感覚を愛し、感情を大切にし、純粋な熱情に目を向けること。そのことに生のすべてを費やすこと。
「求めるもの」は、既に持っているものかもしれない。

―夢―

「あなたの夢は何ですか?」 幼いころ、そう問われた経験は誰もがあると思う。
おまわりさん。新幹線の運転手。 お花屋さん。ケーキ屋さん。
ふと思いついた私の夢には、近くの公園がでてきた。一人のおじいさんが、絵を描いている。人の絵を描いたり、風景を描いたり。たまに描いた絵を売っている。似顔絵を描くと、「全然、似ていない」と言われる。描かれた人物は、嘆いたり、怒ったり、あるいは微笑んだりしていた。そうして絵を持って帰る人を見送っている。無名で、地味な格好をしている。ほとんどの人が、前を通り過ぎてゆく。絵を描く手の傍らには、いつも一枚の写真が置いてあった。その写真には誰が写っていただろうか。今は思い出せない。
それが、幼いころの、私の夢だった。

―書―

書は、自画像である。生涯をかけて描き出す自画像である。悲しみも、喜びも、弱さも強さも、描き出される。若くはりさけんばかりの鮮やかさと熱も、老いておだやかに深い佇まいとなった姿も、黒色の自画像に変わる。一面的でない、内面も外面も映した自分が描き出される。書かれた文字は、歴史のヴェール。大切な借り物に身を包み、時を繋いでいるもの。自画像、己の姿だから美があり、他の誰にも真似られない美がある。書は物質ではない。書は生命力によって動かされ、生命そのものとなりうる。誰にも模倣することはできず、己そのものになる。
生命の律動により生まれるもの。そこにテクニックがあるとすれば、己を見んとすることに他ならない。

―スピリット―

信じることである。信じることからすべての力は生まれる。難しいのは、行動することではない。その行動を信じるかどうかである。裏切られることもある。不可抗力もある。どうしようもない力が働くことがある。自分の力はこんなにもちっぽけなものかと、絶望することもある。それでも、信じてみることだ。一作が書けず、幾日も費やしたことがあった。自分を見失い、高望みをし、外観に気を使い、誰ともつかぬ自分が手を動かしていた。格好をつけるな。
スピリットは、誰もが心の内に抱いている。

―美―

何かにすがることもなく、誰かをなぞることもせず、強い意思の中に自分が伝えたいことを見いだせ。たとえいま、できなくとも。

書は、二千年以上もの間、東洋において一大文化として存在していた。「文字を書く」という、原始的で根源的、その単純の背後にある超複雑難解の文化は、“人類の脳みそ”そのもの“人類が見る宇宙”そのものとも思う。百年以上前に始まった近代化と称される時代の波は、いまなお止まるところを知らない。多くの命が近代化によって生まれ、助けられ、人類を繁栄に導いた。飽くなき幸福への探求の結果だと言える。その一方で今も失われゆく生命があり、あらゆる文化が近代化の波にさらわれている。本来的な意義での「書」も、そういった中で失われてきた(限りなく失われていくに近い)文化の一つと言える。
次代に文化を繋ぐことは、これからの生命を繋ぐことである。

私たちが ―いま「求めるもの」とは。―
書家 小野﨑啓太