甲骨文 ※画像(二玄社・墨スペシャル第9号より)
甲骨文。正式な名称を「亀甲獣骨文字」と言い、殷代の中国で「占ト」と言われる占いに用いられた文字である。
広義では(書道の歴史では)、しっかりと漢字として分類される。
いわゆる象形文字として一般にもよく知られてる。
漢字の起源については、蒼頡(そうけつ)という目の四つある人物が発明したと伝えられているが、伝説だろう。漢字という複雑なものを一人の人物が一生涯で創造しうることはないし、それに「伝説」好きな中国なのである。
しかし書道史上にも漢字の発明者としてとても有名な自分物である。
目が四つもなければ、漢字は創造できない。ということなのかもしれない。
長らく漢字の起源については不明であった。
清末の1898年、王懿栄(おういえい)という人が殷墟という場所で「竜骨」を買い求めた。当時、万病に効くとされ販売されていた古い動物の骨である。
金石学を研究していた王懿栄。
たまたま買い求めた竜骨。
なんとそこには、文字らしきものが刻まれていたのだ。
当時判明していた一番古い漢字は、西周の金文であった。
更に古い文字が刻まれている。 すぐにそうわかった王懿栄は、まよわずその「竜骨」を全て買い取ることに。なにせ砕いて粉にして売られているのだ。3000年を遡るかもしれない夢の文字は、「漢方薬」として刻一刻と失われている。急ぐ必要があった。
ほどなくして大規模な発掘作業が始まった。
殷墟と呼ばれたこの地は、中国の古代都市「殷」(当時は伝説の王朝)の首都があったとされる場所だった。
発掘された甲骨文からは、約5000字が確認されていて、文法は古代漢語。
金文との共通点や、すでにかなり発達した段階の文字であることがわかり、
私たちの使う漢字の、直接の祖先であることが決定づけられたのである。
漢字はこのように、現代発見されている一番古い文字、「甲骨文」や「金文」を祖にして、そのDNAを失っていない。DNAという言葉を使ったのは、漢字は、あたかも形を変えながら脈々と子や孫にその遺伝子を受け継いでいった生き物のようだからである。
中国、殷代で甲骨文が使用されていた当時よりさらに昔、遠く古代エジプトにはヒエログリフがあった。
メソポタミアにはくさび形文字があった。
甲骨文を含め、そのどれもが象形文字(目に見える形を文字としたもの)だった。
しかしそれは、時代の流れと共に失われることになる。目に見える形全てを文字にするには限度があり、多様化する社会には適しなかったのだ。
文字文化は、象形文字(表意文字)に代わり、例えばABCと、より機能的な表音文字に取って代わることになる。
その中で古代のDNAが失われた文字達は数知れずあったことだろう。その時代の流れを逆行するかのように、中国では象形の形を様々に工夫し変化させることでそのDNAを保ったまま漢字を使い続けた。
なぜそこまで、象形文字(以下、表意文字)にこだわったのか。
敵対する国に解読されないようにするため(難解な方が情報が流出しない)
など、諸説あるが、ここは平たく。
文字は神様が民衆に与えた神聖なもの。
(そう、あの蒼頡にも結びつく。)
という考えが、深く根付いていたからだと考えられる。
漢字は不思議だ。よく見ると、なんだか人に見えたり物に見えたり。普段何気なく使っている漢字、なぜこんな形なんだろうと考えると、興味が尽きない。
漢字は象形(絵文字)だから美しいのだ。
4000年前のDNAが今も受け継がれている文字なのである。
今もそのDNAは、生きているのです。