書家 小野﨑啓太

文字と書と~書のみかた②~

2018.1.10

文字と書と~書のみかた②~

意味を『考えないこと』

書作品は、自分に送られた無意味な手紙。
そう考えることで、書作品は観ることができます。

今日は、「文字」と「書」について。

普段何気なく使って読んでいる「文字」ですが、それが人間生活においてどれほど重要な位置を占めてきたか。情報手段として文字は不可欠のものです。

「文字」は、意味内容を相手に伝えるためのもの。つまり伝達手段ですから、その意味が相手または自分に伝われば、文字としての機能は十分です。このブログに並ぶ文字も、他のありとあらゆる場所にある文字も、十分に文字として機能しています。

一方、前回のブログで述べたように、「書」は「筆跡」のことです。「筆跡」は「文字」なのだから、「筆跡=文字」。「書=筆跡=文字」だから、「書=文字」と考えられる。やや強引のように思いますが、書かれた文字は「書」であり、「書」は書かれたものだから「文字」である。「書=文字」は成り立つように思います。

しかし、このブログに整然と並ぶ「文字」達は、果たして「書」でしょうか。誰もが答えられる問題だと思いますが、「書」ではありません。「筆跡」でもないことは明白です。

「書」は、「書く」という動詞としての意味を持ちます。「書かれたもの」として、名詞としての意味も持ち合わせています。
「文」「字」という漢字には、動詞としての意味は持ち合わせていません。そのような理屈から、「書く」という行為が含まれない「活字」が、「書」ではないと言うことは、誰もが感じ、分かることです。

「文字」が伝達するためのものであるなら、そこには共通の理解がなければなりません。その共通理解のことを「意味」と言います。 文字は、その形や形式こそ世界で様々ですが、その並びか一つひとつで「意味」を成し、伝達手段として使われるもののことです。

「文字」から「書」が消えた。

長い人間の歴史からみるとごくごく近年まで、「書」(書くこと)と「文字」(書かれたもの・伝達手段)とは不可分でした。
「文字は人が書く行為から生まれる。」
二次的な書も含め、文字は人が書く以外に成立することはありません。近代に至るまで 「書=文字」 は成立していました。

その常識を覆したのは、活字の登場です。
だれもが同じフォントを使うことで、「文字」からは「書」が消えました。「文字」から「書くこと」が消え、「筆跡」が消えたのです。それら活字の文字は、書を含む(手書きの)文字と、明確に区別されるべきでしたが、今は双方同じく「文字」という言葉を背負っています。
文字から書(書=筆跡)が消えた現代、文字は意味だけを伝えるに特化した道具(記号)に変化しました。意味を伝える道具はありとあらゆるところに散らばり、大量の情報を載せ、その上に現代があります。大変便利な時代です。

「文字」から消えたものは、「筆跡」であり、「書」。

ここまでで分かることは、伝達記号である「文字」には二つの要素があること。
「筆跡」としての要素、つまり「書」と、
「意味」の要素です。

「文字」が意味を表す記号としてのみ成り立ったこの現代において、「書」を理解することは甚だ困難となりました。「文字」は意味を理解するためのものであり、「書」は「筆跡」として「文字」に付加的な要素を加えるもの。文字から書が分離した現代、二つの別々の要素に気付きにくいからです。

どうしても「書=文字(意味)」と考えがちです。「書」は「文字」ですが「意味」を表すものではありません。

「書」を観るとき、「意味」は考えない。

意味を知ろうとしたとき、それは「書」を見ているのではなく「文字」を見ていることになります。
では、「書」とはなんなのか。
「書」のみかた。もう少し深め、次回に紹介したいと思います。

以下は余談ではあります。
「書=文字」が成り立っていた時代、前述の通り、書と文字、そして意味は不可分のものでした。
文字から書(筆跡)が分離した文字記号だけが出歩く現代。しかもそれらは、紙媒体を超えデータになりネットを通じて世界へ発信することができます。個人の「筆跡」を取り払うことで文字記号は爆発的に現代を覆うことになりました。
トランプ氏のツイッター発言が取りざたされた2017年でしたが、文字は強い影響力を有することがわかります。 トランプ氏が強いのか、文字が強いのか、それはわかりませんが、銃が強いのか、銃を持つ人が強いのかという問題と似ています。
文字から筆跡を分離したことは、気付かれざる文字の進化でした。

さらには文字から意味を分離させる。そう考えている人間はもう存在するはずです。
文字から意味を分離した世界。そこには何もありません。音声でもありません。「文字」を持たない「情報」だけが世界を覆う時代が必ずや来るでしょう。
AIは、文字として人間に見えない情報を持ち始めています。それらの情報は多くの人間が目にすることはできませんが、強い思考力と共に動き始めます。目に見える文字の情報を元に人間が思考する必要はなくなり、AIの中で文字を持たない膨大な情報が処理され、あなたが行く方向を示してくれる時代が来たら。どうでしょうか。
生活は、AI機器と、あなたの体だけで成り立つことになります。

その時、もはや人間は文字を持つ必要がなくなるのかもしれません。

小野﨑啓太