書家 小野﨑啓太

ご報告

2018.8.7

ご報告

ご報告

大変個人的なことではありますが、このたび、25年に渡り師事をした師匠の元を離れ、会(門下)を辞する運びとなりました。一ヶ月あまり前の事となります。

師匠には、6歳から書道塾の先生として教えをいただき、15歳時に門下として入会、正式な弟子としてその後15年余りを過ごして参りました。その間、師と弟子として、多くの時間をいただき、また、多くの仲間と共に過ごしました。偉大な師と過ごした時間は、私にとって、生涯忘れ得ぬ、片時も忘れ得ぬ貴重な貴重な時間です。

退会は私から申し出たことによるものです。
私の決断ではありますが、そうせざるを得なかったこと、私にとって、大変寂しく、悔しく、大変に辛い決断でもございました。師匠と弟子、人と人。それぞれに考えや思いがあり、その中で関係を築いていくことの大切さ、さらには難しさを感じております。

己が生きるために、師から受けた精神を師の生身の体から剥がしてこそ、自分の本来の精神としてそれが生き、受け継がれる。己の生を保つためであり、生とは恐ろしいと感じます。全てのものを自分の中で消化するために、多くの時間を要しました。

書道界という場所にとって、または芸を学ぶ多くの者にとって、師匠から離れることは一種のタブーでもありましょう。
前例のないことのように思います。師と弟子の関係を生涯続けることは、当然のことのように感じてきました。書の歴史の重み、それと対峙する己の小ささを思うと、一抹の不安はございます。

しかし敢えてタブーを選びました。

さきほど
「殺仏殺祖」という言葉と出会いました。
禅の教えだそうです。
虚像を殺す。壊し、執着を手放す。
たとえ神でも仏でも、師だろうと親だろうと、自分を縛るものは全て自分の中で殺す(手放す)。
少し前の自分なら、こんな情のかけらもないような教えなど、見向くこともなかったでしょう。いまは少し、分かる気がします。

絶望は光。

全てに、感謝の念は尽きることがありません。

 

今後も一層、この道を邁進する所存です。歴史は偉大。そのことを肝に銘じて。

小野﨑啓太

 

「爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。」殺仏殺祖『臨済録』より

(爾、如法の見解を得んと欲せば、但、人惑を受くること莫れ。裏に向かい、外に向かって、逢著せば、便ち殺せ。仏に逢うては、仏を殺し、祖に逢うては、祖を殺し、羅漢に逢うては、羅漢を殺し、父母に逢うては、父母を殺し、親眷に逢うては、親眷を殺して、始めて解脱を得ん。物と拘わらず、透脱自在なり。)

「死せよ成れよ!このことを
会得せざるものは、
暗き地上の
悲しき客にすぎざらん。」
ゲーテ